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2011.10.25 日記論
 最近、日記を付けるのがちょっと前より楽しくなってきました。「日記を付けるのが楽しい」と聞くと、ポジティヴに捉えればよい可能性と、ネガティヴに捉えなければいけない可能性の両方がまず思い浮かぶわけです。ポジティヴに捉えると、日記に再現するだけでそれほど楽しい気分になるような日常生活を送っているなんて素晴らしい!ということになるし、ネガティヴに捉えると、日記を書くぐらいしか楽しいことがない生活なんてリア充からはかけ離れていますね…ということになる。まぁ、ボクの場合、ちょっと前から新しいノートに付け始めたからという単純な理由なんですけど。日記は全部モレスキンを使っていますが、今回はせっかくフランスにいるしということで、スヌーピー、ではなくて、星の王子様エディションにしてみました。過去2冊はオーソドックスな黒無地の表紙だったので、ここで統一性を崩すことにちょっと抵抗はあったものの、まぁ同じモレスキンで揃えるという最低ラインはクリアしているからいいでしょう、ということで。

 ボクは、意外と文房具や手帳に弱く、その手の雑誌を見つければすぐに手に取り、その手のブログを見つけるとすぐに通い、その手のお店を見つけると迷わず入ってしまうのですが、ノートの使い方についてよく見かけるアドバイスに、既存の書き方にとらわれずに紙面を自由に使ってみようという類のものがあります。具体的に言うと、写真や切り抜きをペタペタとランダムに貼り付けてみたり、いろんな大きさ・太さ・色の字を混ぜ合わせてみたり、字を書く方向自体を斜めにしてみたり。そうするだけで書くという行為がとても自由になることができて、よりクリエイティヴで楽しいノートができあがります、という感じ。たしかに、そうやってできあがったとされるノートの見本は、無造作で統一性がないながらも、それがゆえのある種のかっこよさを感じさせるように仕上がっていて、いいなぁーと思わされることもしばしば。でも、なかなかできないんですね、これが。2冊も、黒ペンで横にびっちり書き続けてしまったので、そのスタイルをここでやめてしまうというのもどうも(思えば、大学時代のノートの書き方はほぼ同じ。)。あと、より現実的な利便性の問題として、写真や切り抜きがいっぱい貼ってあるノートって、左側のページ(つまり、ページの裏側やその後ろに連なるページたちにいろんなものが貼ってあってでこぼこしているページ)にモノが書きにくくなるという欠点があるのですよね。そんなこんなで、結局これまでどおり書き続けています。一つ思ったのは、日本語で書いているのだから、縦書きにすれば良かったかな、と。世の中、どうして縦書きのブログってないんだろう。技術的にできないの?

 今回の新しいノートで日記は3冊目に突入したわけですが、1冊目は1年11か月かけて埋めたのに対し、2冊目は1年7か月で書き終わりました。白無地のノートを使っているので、字の大きさや行間等にもばらつきがあり、一概に比べられないのだけど、1冊目の期間は東京で働いていた期間、2冊目は日本での留学準備を含めて研修に励んでいた期間とほぼ合致するので、忙しいと簡単な記載で済ませて1日に書く量が短くなりがちで、皆さんに盛大に送別していただいたり、異国の地で楽しい生活を送ったりしていると必然的に書くことも多くなる、ということなのですかね。日記の内容自体もさることながら、こうやって書き方にも違いが現れるというのは、後から見ても興味深い。

 ちなみに、日記は日本語で書いているのか、という問いには迷わず「はい」と答えます。書くのに手間がかかるからというのは実は理由ではなくて、逆に読み返すのが不便だからというのがその理由。やはり26年間も日本語を読み続けて育っていると、どんなにヨーロッパで生活していても、アルファベットって目になじまないのですよね。なじまないというのは、大量のアルファベットを見せられても、その中から自分に必要な情報にパッとスポットライトを当てられない、要は飛ばし読みができないという意味です。日本語ならそれができるもんね。日記って、何気ない時にふと読み返して、いろいろ思い出せるというのが小さな醍醐味だったりするので、これは大事。

 あと、重大な論点として、自分の日記をいつ焼き捨てるかという論点がありますが、これは難しい問題なので、今日は棚上げ。
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