上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 語学学校の同じクラスに複数名の中国人学生がいるというのは、たしか以前にも書いたと思いますが、彼ら「フランス風の名前」というのを持っているのです。新しい人がクラスに入ってきたり、先生が変わったりすると、当然、全員簡単に自己紹介をするわけですが、その時に普通に「フランス風の名前」を名乗るのです、彼ら。具体的には、というと女の子2人は「Rosalie(ロザリ)」と「Nancy(ナンシー)」、男の子は「Pasqual(パスカル)」。なんでも、中国でネイティヴの教師の下でフランス語を勉強する際に、大勢の中国人を目の前にして先生は各人の名前を覚えることができず、ほぼ強制的にフランス風の名前を割り当てられるのだとか。その説明まで聞いた上で、語学学校の先生は、中国人学生のこんな風習に慣れているのか、必ず「それ、フランス風の名前? 本名?」と確認し、中国語の本名を聞いた上で「で、どっちで呼ばれる方が良いの?」と確認をします。このあたり、とっても親切。その上で、彼らはフランス風の名前を選択します(!)。先生を始め、中国人以外の人間にとって発音しやすいだろうから、という説明でしたが、おそらく彼らの方も、中途半端な発音で自分の名前を呼ばれても、よくわからない(=気付かない)or気持ち悪いという事情があるのではないか、と推測しています。

 人間が、生涯で最も多く書く文字は自分の名前だというのを前にどこかで聞いたことがありますが、それぐらい名前というのはアイデンティティを象徴するものであるはずです。それをいとも簡単にフランス風の名前を名乗る彼らは、すごいなぁ、と。どんなにフランスかぶれであっても、ボクはそれをする気にはあまりなりません。だって、今日からあなたは「Frédéric(フレデリック)」だの「Jean-Paul(ジャン・ポール)」だのと言われても、「違うし」という感じじゃぁないですか。仮に母国の大人数の授業でそれを強制されたとしても、こっちに来てまで自分がそれを踏襲するとは考えにくい。数人しかいないんだから、発音は難しいけど頑張って覚えて発音してよ、と思うし、自分の名前というアイデンティティの象徴である以上、それも別に過度な要求ではないと思うのだけど。

 その上で考えたのは、にもかかわらず「フランス風の名前」を名乗り、それに慣れることができるというのが彼らの強さなのかな、ということ。違う名前を名乗るというのは、ともすればアイデンティティの喪失にもつながりかねないけれど、そんな大きなことをやってのけることでこちらの社会に適応する、というのはすごいことでしょう。ある種の適応能力の高さとも言えるかもしれない。彼らが世界を席巻する日は本当に近いかも?
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://405a10474.blog113.fc2.com/tb.php/413-551c9bc4
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。