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2011.12.23 最終回40%台
 なつかし画像特集というわけではありませんが、「家政婦のミタ」の最終回が関東地区で視聴率40%を記録したというニュースに接し(どんなドラマなのかは全然知りませんが。)、「ドラマ・最終回・40%台」というキーワードから思い出されるのは、ボクたちの世代にとっては当然この作品なわけです。初回の一番最初とか、中盤のいくつかの名シーンとかを復習してから(笑)、最終回をがっつり見てしまいました。いやぁ、やはり名作。



 たしかよく年末に3~4日で一気に再放送するというのを一頃はやっていたような気がしますが、去年・今年あたりはやっていないのかしらん。たしか中3の時にはほぼ学年全体でスキー合宿に行ったのだけど、夕方はみんながトランプか何かで盛り上がる横で、一人でテレビで釘付けになっていました(笑)。その後、youtubeに助けられて何度か見る機会に恵まれ、何度となく見ているのですが、今日見て初めて認識したことには、劇中で杏子は27歳という設定だったのですね。もうすぐ同い年。中学生の時は23歳と29歳の違いも感覚的にはまったく理解していなかったものの、登場人物の年齢をこれほど身近に感じる時が来るとは。苦笑 お兄さんお姉さんのお話だと思っていたのになぁ。

 泣きどころの多い最終回、もちろん直球ストレートの泣きどころもあるのですが、ボクとしては水野美紀(何も「水飲み器」って変換しなくても良いんじゃないの…)演じるサチが、杏子がサチの赤ちゃんのために内緒で編んでいた靴下を発見するシーンが、昔からグッと来るのです。それはつまり水野美紀が名演を披露しているということか…? 今日改めて見ておもったのは、劇中の状況がどうというよりは、水野美紀の涙にもらい泣きしてしまう要素がとても強い気がしたので。なんにせよ、話の筋からすると傍系だけど、良いシーンですな。真面目に、DVD買おうかな…DVDを買っても元を取れるぐらいの回数は既に見ているし…。

 そして年末、昨年も同じことを考えましたが、フィギュアの全日本選手権を見られないのが一番痛い。
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って御存知ですか。こんな曲です。いい曲です。13年前の曲かな。




 SPEEDの今井恵理子氏の初のソロ曲です。ALL MY TRUE LOVEのB面か何かに入っていた曲なのでソロ「デビュー」曲ではないのだけど、記憶が正しければこの曲で単独でテレビの歌番組にも結構出ていたし、その頃ラジオでも結構流れていた気がします。テレビの歌番組をもれなく見ていたり、夜はラジオとお友達になっていたり、そんな中学1年生だったのです、ボクも。SPPEDとしてのA面もかなり好きな曲ではあったのだけど(今でこそカラオケで彼女たちの歌を歌うとしたら定番のWHITE LOVEばかりだけど、実はこっちの方が好きかもというぐらい。)、むしろ「冷たくしないで」が更に好きでした。懐かしいなぁ。そんな冬の歌。
 年賀状シリーズ第2弾です。年賀状という習慣が将来に残されるべきものであるということは既に第1弾で書いたところですが、そんなことを言っても実際に書ける年賀状の数には限りがあるわけで(書こうと思えば1000枚だって2000枚だって書けばいいだけの話で、厳密に言えばそんな「限り」はないのだとボクは思いますが。とはいえ、限られた時間を優先順位でいえば100番目200番目に当たるその人に年賀状を書くために使うのかという論点は常に存在するとも思うので、こうして時間をゼロサムで認識する観点からは当然に「限り」があることになりますね。)、そのために誰に年賀状を書くのかというのはよく吟味しなければいけない事柄です。

 そこで今日のテーマは、では具体的に誰に年賀状を出すのかということです。この問いには2段階の答えがあると思っているのですが、その1段階目を共有していただけない方もいらっしゃるようなのでまずはその補足から。ボクがいう2段階とは、毎年年賀状を書く際に参照するリストに載せるという第1段階と、そのリストを参照した上でその年の年賀状を具体的に発送するという第2段階です。年賀状を書く人はみんなそれを発送するために書くわけですから、第2段階はどなたにも存在する段階だと思いますが、問題は第1段階。昨年誰から年賀状をもらったのかは、極論すれば手元にある葉書を見ればわかるわけですが(当然もらった年賀状はすべて保存してあるということを前提にしていますが。)、案外、昨年自分が誰に年賀状を送ったかということがわかる状態にないという人も相当数いるのだとか。年賀状は人間関係のベースであるというボクの立論からいくと、自分の抱えている人間関係がいかなるものであるかを把握するために、このリストは必要なわけです。言ってしまえば、facebookの友達リストみたいなものですかね。

 [以下削除]
2011.12.19 年賀状の効能
 年の瀬も押し迫り、ツイッターなんかを眺めていると、年賀状を書き終わっただの年賀状を書かなくちゃだのつぶやいている友人も増えて来ました。インターネットの普及とともに、年賀状を送り合うという習慣がどんどん失われていっているということが叫ばれ始めてから、ずいぶん時間が経ちました。とりあえず今のところは、もしかしたら日本郵政の商売が上手であることによるのかもしれませんが、近い将来年賀状が絶滅するということは起こらなそうです。タイトルからもおわかりのとおり、ボクはこと年賀状に関しては守旧派なので、そのこと自体はたいへん喜ばしいことだと思っています。

 最近、といってもおそらくここ1年ぐらいの話だと思いますが、日本でもfacebookユーザーが急増しています。別にfacebookでなくても良いのですが、ああいう一般向けのSNSの利点は、中学・高校の同級生だったり、学生時代のサークル仲間だったり、現時点で必ずしも日常的な関わり合いのない人たちとの関係を何らかの形で維持できるという点なのだろうと思います。今後のビジネス利用の可能性とか、多様なアプリの導入の可能性とかいろいろな試みが模索されているようですが、実際のところ、多くの一般ユーザーは、思い出の領域に入っている又は入りつつある人たちとの交流に主眼を置いてこういうSNSを利用しているのではないでしょうか。

 ボクが年賀状に求める効能(なんていう言い方をしてしまうととてもドライに聞こえてしまい、それはまったく本意ではないのですが。)もまさにそれと同じで、たとえ一時期であっても、毎日顔を合わせたり、いろんなことを話し合ったり、いろんなことをしてもらったりしてあげたりした人たちとの関係を、みすみすゼロにしてしまうのってもったいなくないですか、というところからスタートしているわけです。1年に1回紙を送り合うだけで何が…と言うことなかれ。それすらない関係に比べれば、1年に1回近況を知らせ合うということの意味がどれほど大きいか、察するに余りあると思います。

 だから、年賀状がだんだんメジャーな挨拶でなくなってきたという現象は実に寂しいものであると日々考えているわけです。年賀状そのものがメールに押されているというのもあるし、互いの住所を知る機会がなかなかないというのも、二次的に年賀状の衰退を招いていると思います。個人情報保護という大義名分を(必ずしもそれが大義名分とならないような場面にまで)掲げて、住所をシェアするような名簿の配布というのはあまり行われなくなりました(その点、ボクが学生時代に所属したサークルでは、いまだに(正しくは、少なくとも4年前までは)帰省先の住所も含めた昔ながらの名簿を作成しており重宝しました。)。職場の同期の住所も普通は知りません。まぁ、職場の人間関係に関しては、会社を辞めでもしない限り、今後何十年か日常的に付き合っていく人たちなので、先に述べた年賀状の目的に必ずしも合致はしないわけですが。

 少し話が横道に逸れましたが、ここまで書くと、ときどき繋がりを確認するという年賀状の目的をfacebookが果たしているというのであれば、やはり年賀状は不要で、facebookさえやっていれば良いではないかという声も聞こえて来そうではあります。でも、それは違う。facebookの、ともすれば友達申請→承認で止まってしまう擬似的な人間関係、またそれ以上進んだとしても画一的な「いいね!」でなんとなく存在感を示し、認識するというだけの関係って、相手の顔を思い浮かべながら年賀状の宛名を書き、相手からの葉書を受け取ってその人の近況を知って喜び、安心するという関係とはだいぶ違うでしょう。人間関係のメンテナンスって、クリック1つでみんなが同じように存在感を示すことのできる「いいね!」ではなくて、そういうところにあるのだと思うのです(その観点から、印刷しっぱなしで手書きのコメントが1つもない年賀状については、ここでいうところの「目的」が果たされている度合いが著しく低くなると思いますし、同じ観点からボクは宛名は手書きするということをずっと信念としており、これもボクが昔から好き好んで論じるテーマではあるのですが、ちょっと論点が変わってきてしまうので詳細には立ち入りません。)。

 こういうのって現代には合わないんですかね。なんのことはない、誰彼構わずみんなに声がかかる飲み会で乾杯のビールを片手に耳に心地良いだけの挨拶を交わす関係と、この人と飲みながらがっつり話したいと思って誘ってサシ飲みに行き、そこでしか話せないようなことをがっつり話し合う関係と、どっちがより内実の詰まった関係ですかというのと、実質的に言っていることは同じだと思うんですがね。後者の方がよほど得るもの/与えられるものが大きいと思いませんか。後者のような関係のベースになるのが年賀状のやりとりだと思うのです、大げさに言ってしまえば。だから、学生時代に仲良くなった人のほとんどとは、住所を教えてもらうなどして年賀状のやりとりをしています。それに返事をもらえるかという論点も別途あるのですが、それもまた長くなるので今日はこの辺で。
今日はちゃんと予告どおりのことを書きます。タイトルはfacebookと誕生日。mixiには足あとという要らない機能がありましたし、GREEはなかなか退会できないという厄介な機能が最近も話題になりました。facebookは最近日本でも急速に普及してきたようですが、そしてこれはmixiにもあった機能かもしれませんが、友達の誕生日を御丁寧に教えてくれるという機能があります。端的に言えば、この機能要らないだろと思っているので、この記事を書こうと思ったわけです。

ボクは、友達の誕生日を事前に何か誕生日に関するやりとりがあってその人の誕生日を知っていた場合に、主としてメールを送るという方法で誕生日をお祝いする気持ちを伝えます。全員の連絡先が携帯に入っていた日本にいた頃と違い、みんなの連絡先をすぐに引き出せる形でPC上のアドレス帳に入れているわけではないので、フランスに来てからはこれがちょっとおろそかになっていますが、基本的な方針に変わりはありません。facebookとの関係でいうと、ボクは自分が相手の誕生日を覚えているという事実を相手との関係性を見極める一つのファクターとしているのに、facebookのおかげで、誕生日を覚えていなくても友達に誕生日メッセージを送れることになってしまい、相手がそういう輩と自分の区別を十分にできなくなるではないか!という自分勝手な事情がこの機能に反対する理由の一つ。

さらに言えば、facebookに教えてもらいさえすれば誰彼構わず似たような文面でお祝いをする、場合によってはメッセージですらなく公の場に無難なメッセージを書き込むということが横行するなか、そういうことをされてもそんなに嬉しくないなぁというのが正直なところです。メッセージをもらうこと自体にネガティヴになっているわけではなくて、前のパラグラフに書いたことと逆で、ボクの誕生日を前からちゃんとわかっていてしっかりお祝いをしようとしてくれる人としっかり差別化を図りたいなと。その観点から、ボクはfacebook上で誕生日を公開していません。誰彼構わず同じメッセージをみんなの目に触れるように書き込んでいる人が、facebookの力一つないと為す術がないという様子は悪いけどちょっと滑稽ですらあります。この基本的な考え方に従い、彼に誰かの誕生日をfacebookのこの機能によって初めて知ったとしても、ボクはメッセージを送るということはしません。

友達の誕生日の見つけたところで何もしないというボクみたいな人もいるかもしれないし、特に仲の良い友達だったらメッセージを送るという人もいるかもしれないし、facebook上の友達であれば誰彼構わずにおめでとうメッセージを書き込むという人もいますし、結局この機能の使い方も人それぞれなわけですが、前から疑問に思っていたので書いてみました。タイミングも難しくて、誰かの誕生日の様子を見たからこんなことを書いているのではないかと憶測されるのではないかとかいろいろ考え、ここまで延ばし延ばしにしてきたのですが、そういう憶測を持たれるおそれはどのタイミングでも完全には排除できないので、まぁいいやということで書くことにしたわけです。まぁ、他人様がやることなので別にボクがあれこれ言うべきことではないのですが。

それにしても、相手の誕生日を前から知っていたのでメールでおめでとうというメッセージを送ったところ、facebookを見てfacebook上にメッセージを書き連ねた何十人もの人に通り一遍の返信をして、ボクのメールはしばらく放置ということをされたことがありますが、それはさすがにどういうつもりなのという感じでした。メールだからちゃんと考えて返そうと思ったんだよきっと、という諫言が聞こえてきそうですが、facebook上のやりとりは多くの人の目に触れるということに目が向いていれば、ボクだったらそんなことしないけどなぁ。
というわけで、いきなり昨日書いた次回予告とは全然違うことを書くわけですが、御容赦を。実は年末にロシア旅行を計画しているのですが、モスクワでは同僚にたっぷり相手をしてもらう予定が立っているものの、サンクトペテルブルクでは4泊5日を一人で過ごすことになりそうなので、夜とかどうしたもんかなぁと思っていたところでした。そこへ、最近になってマリインスキー劇場のスケジュールが公開され、年末はすごいことに。ボクは28日の夕方にサンクトに入って元旦の日中にフランスに戻るわけですが…
   

   28日:メサイア

   29日:第九

   30日:リストのコンチェルト2曲(ソリストはマツーエフ!)

   31日:くるみ割り人形(午後)、アイーダ(夜)


ちょっとこれ、ヤバいでしょう。ドンピシャすぎる。年末イベントを今年だけで何回やるんですかという感じ。しかも、指揮はアイーダ以外ぜんぶゲルギエフ! あのゲルギエフ! というわけで、5公演とも買うという尋常でないことをしてしまいました。ちょっと特殊な手続を求められたためにビザの申請にやや手こずっており、そのためしばらく様子を見てはいたものの、まだビザを入手できたわけではないとはいえ、もう申請は受理されたので取ってしまいました。このジャンルには弱いんだよねという方、わかりやすく言うと、紅白とレコ大とK-1と天皇杯決勝戦と箱根駅伝を連日ライヴで見に行くようなものです(さすがに例えに無理があるけど。苦笑)。

というわけで、4日連続でゲルギエフの顔を拝んで来ます。既に大興奮です。本当に。大人げない買い方かなぁと思ったけれど(大人買いではあるけれど。)、サンクトペテルブルクに、しかもシーズン真っ盛りに、かつ、ゆっくり好き勝手に過ごせる日程で行くことなんて、次はいつになるかわからないので、思い切って取ってしまいました。それに、想像していたほど大した値段ではなかったし、ボーナスも入るし(…と言い聞かせ。今まで何度似たような言い訳でお金を使ってきただろうか。我ながら懲りない…とは思うけど、今回はやはり特別!)。やばい、超楽しみ。これでビザでコケるなんていうことがありませんように。
2011.12.07 さーて来週の
サザエさんは~♪というわけではありませんが、いつも「あれ、何を書こうと思っていたんだっけ…」という状態によく陥ることもあり、備忘録を兼ねて近日中に書こうと思っているテーマを3本書き付けておきます。サザエさんの次回予告を狙って3本に絞ったわけではなくて、たまたま3本だったからサザエさんにかけただけ。

 1.facebookと誕生日

 2.人間関係のベースとしての年賀状

 3.後輩が2人も来てくれてパリ再発見の旅

しかし、ときどき「法学部人間関係論専攻」と揶揄されることのあるボクですが、こうして見るとそういう話題の嗜好がもろに現れてきますね。実際、3つとも書こうとしているのは直球ど真ん中でそういう内容だし。

チューリヒ一人旅の旅行記も書こうと思っていたけれど、一番のビッグイベントだったトゥーランドットについては書き尽くしてしまったので、もういいかな、と。笑 あれ、ということはもともとは4本あったということになってしまう…いやいや、パリ再発見の旅がリストに入って来たと同時にチューリヒは押し出されてしまったということで。いずれにせよ、近々書きます。今週末にはリヨンに光の祭典を見に行くので、そのネタに3つのうちのどれかが押し出されてしまう前に少なくとも1つは。
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