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 同僚と、何か無条件で興奮できるほど好きなことというものはあるかという話になりました。仕事でもなければ、大学時代にサークル活動に所属していわば「公然の」趣味ともいえるピアノでもないもので、何か好きなものと聞かれると、よく「フィギュアスケート」などと答えるのですが、何か無条件で夢中になるものがあるかと問われると、厳密にはフィギュアスケートもそれには当たらないかもしれないと思い至りました。というのも、フィギュアスケートの演技には、もちろん大絶賛するものもあるとはいえ(「とはいえ」というよりは「がゆえに」と言った方がより正確であるような気もしますが。)、こっぴどく酷評してしまうものもあるわけで、好きは好きなのだけど、ここでいうところの「諸手を挙げて」や「無条件で」に当てはまる種類の「好き」ではないのかなぁと。

 じゃぁフィギュアスケートは何が面白いのかと言われると、たしかに一つ一つのプログラム、その中の一つ一つの要素を見て「きれい」だと感じる場面も少なからずあるものの(この問答で気が付いたことは「すごい」と思わせられるものよりも「きれい」と思わせられるものを高く評価する傾向にあるという自分の特質)、それぞれの要素の難度を理解したり、どういうパフォーマンスに審査員が高得点を与えるのかを知ったり、前のシーズン以前のプログラムと比較するなどしてプログラムそのものに対する感想を抱いたり、演技そのものを見て感じるものに限らず、繰り返し競技を見ることによって知り得ることに「好き」となり得る要素が多いことにも気が付きました。

 となると、要するにフィギュアスケートはある種の材料に過ぎず、自分が見たものや聞いたものを自分なりに分析し、それを言葉にするという作業そのものに「好き」になるべき因子が多く含まれるのではないかという結論に至るわけです。だからこそ、ある本の読後感とか、何かを見て考えたこととかを書くのが苦手、というか躊躇われることが多く、つまるところそれは「好き」なはずの作業を不十分な形で完結させてしまうことに対する恐れから来るものなのではないかと思います。とはいえ、何か生産的と思えるものを書く機会がないという環境もまたストレスフルなのであって、こんな適当なブログではなく、ちょっとはまともな文章を書かなくてはいけない環境というのがないものかなぁと思うのですが、なかなかそうもいきませんわね。結局、これをしたあれをしたという事実の羅列になるわけで(過去の記録という観点から、自分自身にとってはそれはそれで意味のあることだとは思いますが、それを望むのであれば私的な日記で足りることもまたたしか。)。と、週末に行った小旅行については書かずに、ちょっとだけ精神的なことに紙面を割いてみました(思えば「紙面」という概念を喪失したことが、ブログを始めとするネット環境における執筆作業の大きな特徴であり、だからこそ気楽になんでも書けるという利点もある一方、ブログというシステムが、右に書いたような問題を必然的にはらむことの一因なのだろうと思うのです。)。
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