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 同僚と、何か無条件で興奮できるほど好きなことというものはあるかという話になりました。仕事でもなければ、大学時代にサークル活動に所属していわば「公然の」趣味ともいえるピアノでもないもので、何か好きなものと聞かれると、よく「フィギュアスケート」などと答えるのですが、何か無条件で夢中になるものがあるかと問われると、厳密にはフィギュアスケートもそれには当たらないかもしれないと思い至りました。というのも、フィギュアスケートの演技には、もちろん大絶賛するものもあるとはいえ(「とはいえ」というよりは「がゆえに」と言った方がより正確であるような気もしますが。)、こっぴどく酷評してしまうものもあるわけで、好きは好きなのだけど、ここでいうところの「諸手を挙げて」や「無条件で」に当てはまる種類の「好き」ではないのかなぁと。

 じゃぁフィギュアスケートは何が面白いのかと言われると、たしかに一つ一つのプログラム、その中の一つ一つの要素を見て「きれい」だと感じる場面も少なからずあるものの(この問答で気が付いたことは「すごい」と思わせられるものよりも「きれい」と思わせられるものを高く評価する傾向にあるという自分の特質)、それぞれの要素の難度を理解したり、どういうパフォーマンスに審査員が高得点を与えるのかを知ったり、前のシーズン以前のプログラムと比較するなどしてプログラムそのものに対する感想を抱いたり、演技そのものを見て感じるものに限らず、繰り返し競技を見ることによって知り得ることに「好き」となり得る要素が多いことにも気が付きました。

 となると、要するにフィギュアスケートはある種の材料に過ぎず、自分が見たものや聞いたものを自分なりに分析し、それを言葉にするという作業そのものに「好き」になるべき因子が多く含まれるのではないかという結論に至るわけです。だからこそ、ある本の読後感とか、何かを見て考えたこととかを書くのが苦手、というか躊躇われることが多く、つまるところそれは「好き」なはずの作業を不十分な形で完結させてしまうことに対する恐れから来るものなのではないかと思います。とはいえ、何か生産的と思えるものを書く機会がないという環境もまたストレスフルなのであって、こんな適当なブログではなく、ちょっとはまともな文章を書かなくてはいけない環境というのがないものかなぁと思うのですが、なかなかそうもいきませんわね。結局、これをしたあれをしたという事実の羅列になるわけで(過去の記録という観点から、自分自身にとってはそれはそれで意味のあることだとは思いますが、それを望むのであれば私的な日記で足りることもまたたしか。)。と、週末に行った小旅行については書かずに、ちょっとだけ精神的なことに紙面を割いてみました(思えば「紙面」という概念を喪失したことが、ブログを始めとするネット環境における執筆作業の大きな特徴であり、だからこそ気楽になんでも書けるという利点もある一方、ブログというシステムが、右に書いたような問題を必然的にはらむことの一因なのだろうと思うのです。)。
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2011.06.25 ビデオの拷問
 フランス語を勉強する身でありながら、学校ではフランス人の同級生たちと一緒に外国語として英語の授業も受けさせているのですが、昨日は、TVのトークショー型の政治番組ごっこみたいなものをカメラの前でやらされ、各自の役割分担に従って、ヨーロッパにおける移民問題についてあれこれ喋りまくったのでした。ちなみに、役割分担というのはあらかじめ与えられるわけではなく、各々が喋りやすいように勝手に設定して良いというもので、フランスの与党や英国の極右政党の政治家などを選ぶ同級生もいる中、だったら移民を推進する側もいなくちゃ面白くないよねということで、英国で不法移民の生活支援を行っているNGOの代表という役を選んだのですが、そんなよく知りもしない人たちになりきろうとしたためか、はたまたこの手の固い話を英語に話すことに慣れていないせいか(これは冗談抜きで危機的状況で、the European Unionと言おうとすると、ついl'Union européenneと言ってしまう。)、とにかくメタメタだったわけです。読んだり書いたり聞いたりするのは、別にもともとものすごくできるわけじゃないけど、日本にいた時と大して変わりはないかなと思っているものの、いざ喋るとなると、2~3年前よりも絶対に喋れなくなっている。フランス語を始めた頃は、フランス語で喋るために、頭の中で和文英訳をやって、その後、英文仏訳をやるという感じで、ものすごくまどろっこしかったのをうっすらと記憶していますが、今はその英語とフランス語が逆になったような状態。

 で、今日の英語の授業では何をしたかというと、昨日録画したそのトークショーまがいをみんなで見て、文法やら単語の選び方やらが間違っている部分について、先生がひたすら斬り捨てていくという拷問のような授業だったわけです。先生はかなり働き者で、各人のミスを本人のために紙に書き出してくれていて、ボクも文章を書くに当たっては絶対にしないであろう中学1年生級のミスを繰り返していて、かなり自己嫌悪に陥りました。極めつけには、どうやら喋るのにつっかえる時に「Pardon」と無意識に言っていたらしく、「Sorryって言いましょうね、Pardonはフランス語よ。」と書かれていました。ごめんなさい…。

 そして、ビデオを見始めると、ミスが多いこともさることながら、これはフランス語についてもよく言われることなのだけど、とにかく言い直しが多くて聞きにくい。頭の中で文が出来上がらないうちから話し始めるのは良いのだけど、話し始めてから頭の中で文が完成するやいなや、どうやら文頭から読み直すくせがあるようで、主語を2回言うとか、いきなり文章が巻き戻るとか、そういうことが頻繁に起こっていて愕然としました。さらに、早口だとはよく指摘されることなのですが、そもそも流暢に話すことができない外国語で早いと言ったってたかが知れているだろうと思い込み、指摘されてもこれまでそこはそれほど意識していなかったのですが、聞いてみるとたしかに早い。ボクより流暢に話す同級生よりもスピードが速いものだから、たしかにこれじゃぁ流暢に話そうにも話せませんよねと納得。これからはきちんと気を付けようと思いますが、いかんせん母語である日本語でもかなり早口だと言われる方なので、そのくせがはたして今から抜けるかどうか…。
2011.06.24 衝動買い
という単語、結構よく使う割に、昔はそんなに衝動買いなんてするタイプではなかったのですが(そんなのウソだという声があちこちから飛んできそうだけど(笑)、自己認識は一応そういうことになっています。)、年とともに衝動買いをする機会が増えてきているような気がします(もっと増えているのか!とか言わないように。)。一つには買い物に充てることのできる時間が学生時代よりは短くなってきていること、一つには一定の収入を得られるようになり支出に対する配慮が浅くなってきていること、そしてもう一つは、単純に年とともに図太くなってあまり細かいことを考えなくなってきていることというのが原因として挙げられるでしょうか。最後の一点については、買い物の文脈に限らず、最近よく感じます。

 要するに、何が言いたいかというと衝動買いをしたわけです。午後の乗馬の授業は郊外の乗馬クラブで行われるので、市街地との間をバスで往復する必要があるのですが、帰りのバスはショッピングモールの目の前に着きます。何かを買う当てがあったわけでもないのですが、フランスではちょうど昨日からセールが始まったところだし、その後の予定も特になかったし、ちょっと疲れてボーッとしたいけど、すぐ家に帰って休みたいほどは疲れていないぐらいの状態だったので、ちょっとプラプラしようかなと思って足を踏み入れたわけです。セールが始まっているのを知りながら「何かを買う当てがあったわけでもない」というのは嘘に決まっているという厳しい御指摘を頂きそうですが、何もセールをエンジョイする気が全くなかったというのではなくて、土曜日にパリに行くのでどうせセールを満喫するならパリでと思っていて、ストラスブールでセールにがっつくつもりはなかったという意味において、この記述は極めて正しいものと御理解ください。

 ところがどっこい、意外といいものが目に付いたりするんですよね、こういう時に。ここでいう「いいもの」というのは、上質なもの・高価なものとは必ずしも一致せず、むしろ安価な店の商品だったりすることがむしろ厄介なわけです。安価な店がセールをやると、ますます価格は下がるわけで、まぁこのぐらい払って失敗だったとしても別にいいんじゃない…?みたいな考えが頭の中でどんどん膨らみ始めます。まぁ、たしかに、そんな価格でその商品を買うことのできる機会はめったにないというのは事実なわけで、その限りにおいて、その認識自体は間違っていないと思うけど。というわけで、カーディガンを購入。

 あと、セールの時期によく起こるのが、結局セール対象外の商品を買ってしまうというもの。今日も、手に取るものはセール対象外の品が多く、そのたびに心の中で舌打ちをしていたわけですが、どうせ高級な店を見ているわけでもなく、その中でも安い方の商品だと、セールになっていなくても手はいくらでも出ますという額が付けられているわけで、まぁこれも何かの御縁でしょうという何にでも使える呪文を唱え、更にもう1枚カーディガンを購入。

 こうやってポンポン買い物が進むには「ユーロの魔法」というのも効いている気がします。たとえば「20ユーロ」という金額。単純に「20」という数字の小ささが、その金額自体の心理的なハードルを大きく下げているような気がします。「2,400円」と言われるのと「20ユーロ」と言われるの、ちゃんと考えれば同じことだとわかるものの、なんとなく「20ユーロ」の方が簡単に手を出してしまうというか…。「2,400円」だと、飲みに行くのに足しになるなと思うけど、「20ユーロ」だと簡単に払えてしまう気がして、そういう歯止めが利かないというか…。これってアホですかね。あとは、ヨーロッパでは「20ユーロ札」なるものがかなり一般的に出回っているというのもあるのかもしれないけど。日本だって「1,000円」と言われるとハードルは結構下がる気がする。
2011.06.23 次の行き場
 8月はほぼまるまる1か月夏休みで、8月末から学校のプログラムでフランス国内のどこぞの田舎(とは限らないのだけど、田舎に行かせて欲しいという希望を出していた。)に行かされることになっていたのですが、今日やっとその行き先が決まりました。ロワール地方はアンジェ。人口15万人程度の中規模の街で、中世にはアンジュー公国の首都として公爵家のお膝元として栄えた由緒ある街だそうです。5か月もの間住むことになるので、フランス滞在中に住む期間としては、4か月住んだパリを超え、ストラスブールの次に長く住むことになる街になります。

 派遣先に関する希望を伝える面接の時点でまだ行ったことがなかったという観点から、ブルターニュ、ローヌ・アルプ又はロワールのいずれかの地方で、可能な限り小規模な県に行かせてくれと頼んでおいたわけですが、地方はばっちりロワールとなりました(面接の後に訪ねる機会はあったのだけど。)。人口15万人というフランスにしてはそこそこの街なので、決して極端に小さい街とは言えないのだけど、小さい街を希望したのはあくまでも周りの人々とより密な関係を築きやすい環境に期待してということだったので、極小ではなくても周りの人にさえ恵まれれば楽しく過ごせるだろうととりあえず例によって楽観的になっております。

 フランスで一番規模の小さい県はローヌ・アルプにあり(なんと県庁所在地のくせに人口は7000人)、そこになるのかなぁなんて期待&想像していたものの、そこよりもアンジェの方が圧倒的に優れているのは、パリまでの足。日本でいうところの新幹線の駅がアンジェにもあり、パリからはわずか1時間半で乗換えなしで来ることができ、2時間20分かかるストラスブールよりもさらに便利。そのかわり、他の地方都市に行く足についてはフランスの他の街同様結構不便で(同僚がいて、学校で一番の仲良しが派遣されるボルドーはアンジェから結構近く見えるのだけど、その2都市を直接結ぶ線はなく、乗換えを含めると5~6時間かかる。もっと遠く見えるリヨンには直通の新幹線があって4時間弱しかかからないのに。)、基本的にはロワール地方の中をうろちょろするか(ナント、トゥール、オルレアンあたりには割と簡単に出られる。)、パリに出るか、という生活をすることになりそうです。

 お友達の皆様、お読みになったとおり、パリからも簡単に来られますので、9月から1月までの間に御旅行なさる計画がある場合には、ぜひアンジェへ。パリならともかく、フランスの片田舎なんて、知り合いが住んででもいないとわざわざ来ないでしょ!
 ヨーロッパで夏の音楽祭というと、緑豊かな田舎に著名な演奏家が集まるクラシック界の音楽祭をどうも頭に思い浮かべがちですが、今ぐらいの時期に音楽でイベントをやろうというのはクラシック界に限ったイベントではなく、全ヨーロッパ的にいろんなジャンルの音楽祭が行われます。さらに、音楽祭というと1週間、2週間にわたって開かれる大規模なものを想像しがちだし、事実としてそういうものも多いのだけど、今日1日はフランス全土で音楽祭が開かれ、我がストラスブールでもかなりの盛り上がりを見せておりました。

 普通の音楽祭では、街によってはジャズに力を入れていたり、それこそクラシックで頑張っていたり、スタイルはいろいろなようですが(ちなみにストラスブールで開かれる音楽祭は、クラシックもあるにはあるけど、伝統的にジャズが強い。)、とにかく今日の音楽祭というか音楽イベントは、とにかくみんなで楽しもうよという趣旨のもの。街中のちょっと広い広場には特設ステージが設けられ、四六時中バンドの演奏。そうでないところにも、人だかりができていると思ったら、コーラスやアンサンブルに、ダンスまで。ちょっと大きい会場には一応その道で食べている人たちが招かれているようだったけれど、大部分のイベントは市民参加型で、みんなが日頃取り組んでいるものの成果を披露する場として使われている感じでした。

 そういうわけで、内容自体は大したことないっていえば大したことないのだけど、ほとんどすべての食べ物屋が路上にいろんな屋台を出していて、まさに日本の花火大会状態。人出もかなり多くて、学校帰りに混んでいる道を通ると、進みがかなり遅くて、ややストレスフルですらありました。そして現在、深夜0時半。うちの目の前の広場のステージでも深夜0時までライヴが行われており、容赦なくロックミュージックががんがん流れていました。それは深夜0時に収まったものの、そこに集まって熱くなった人々が今もまだ騒いでいます…。1000人とは言わないまでも、700人ぐらいはいるんじゃないか? 広場の広さとの対比でいえば、数か月前のタハヒール広場ってこんな感じだったのだろうかっていう感じ。ちゃんと寝られますように。
 というわけで、週明けからこんなことをやらされました。8時間の試験といっても、ずーっと黙って机に座って紙とペンに向かっているわけではなくて、9人のグループで1つの課題に取り組むという課題。与えられた課題に基づいて、ある公式な文書の真似事みたいなものを作らなければいけないのだけど(完成したものはA4で10ページぐらいになりました。)、盛り込まなければならない内容も多く、それなりに大変。もちろん、それだけのことを1日だけで1人でこなすことはできないからグループでの試験として有効に機能するわけだけど、ブレインストーミングから役割分担、実際の執筆作業から最後に平仄を整えるところまで、共同作業ならではの大変さというのもあることはありました。まぁ、基本的には、この試験の出来次第で人生が変わると言っても過言ではないフランス人学生たちが超本気で、それの邪魔をしちゃ悪いなぁとやや気が引けつつ一応議論には参加するというスタンスを取っていたので、半ばフリーライダーだった感も否めませんが。

 グループの中に、1人、この学校に来る前にこの試験の題材と似たような環境で働いていたことのある同級生がいて、最後の30分はほぼ彼の独壇場。グループに3台のPCが与えられていたので、書く内容をだいたい議論し尽くした段階で、それを3つのパートに分けて3つの小グループがそれぞれのパートを担当し、最後にがっちゃんこするという体制で臨んだものの、最後の30分に彼がああでもないこうでもないと全体にどんどん手を入れていく。彼の作業するPCの画面が映し出されたプロジェクタの映像を見ながら、ちょこちょこああでもないこうでもないと議論はしたものの、本当に時間がなくなってきた最後の数分は、みんな呆然。形式面も含め、ちゃかちゃか直してくれたので、とても助かったのだけど、その光景はなかなか面白かったです。ちなみに、ラストの校正の段階では、ボクも職業柄平仄が整っていないところはやたらと目についてしまい、内容面ではたいした貢献もしていないくせに、同じ言葉でハイフンが入っているところといないところがあるとか、脚注の番号がピリオドの前にあったり後ろにあったりするとか、同じものを指しているのに使っている単語が違うところがあるとか、そういう重箱の隅をつつくような校正ばかりゴチャゴチャ口を出しました。笑

 今回のはあくまでも予行演習なので、同じ形式の試験を7月にしっかり受けることになります。いろいろ勉強にはなるのだけど、やはりちょっと憂鬱。内容面でしっかり貢献できるように、グループの中で自分が担当している内容に近いものが出て欲しい気もするし、それだとあまりにプレッシャーがかかるから今回のようにあんまり関係なくて横からごちゃごちゃ口だけ出していればいいぐらいがちょうどいいような気もする。
 今日、久しぶりにピアノのレッスンに行ったので、今日のレッスンのこととか、次回までの課題とかから、久しぶりにピアノのことを真面目にいっぱい書いたのに、全部消えた…。メモ帳なりWordなりに下書きをするべきだったかな…。もう同じ長さの文章を書く気がまったく起こらないので、ピアノ論みたいなごちゃごちゃした話は割愛し、とりあえず事実のみ、さくっと。


●4か月のパリ生活後、初のレッスン。パリ行き前から見てもらっていた曲、今回初めて持って行った曲の2曲を見てもらったが、最初から、手の形・置き方、指の位置・動かし方等、今までされたことのない基礎的な注意ばかり受ける。それほど4か月間の空白で「ピアノの弾き方」というものをほとんど忘れたかけたということが衝撃的。

●受験期(みんな辞める)、大学時代(楽しい誘惑が増える)、社会人(残業三昧+一人暮らし)、外国暮らし…という中、これまでの投資が水泡に帰すのを恐れて細々と続けてきたが、継続がいかに重要か思い知った。

●次回までに平均律をどれかさらってこいという宿題。平均律をまともにレッスンしてもらうのは高校時代以来。どれでも良いといわれても困るので7曲の候補を挙げてもらった結果、今のところ2巻の15番にしようかなというところ。

●実は恥ずかしながら2巻は楽譜すら持っていないので、明日買ってこよう。1巻(これも日本に置きっぱなし)はヘンレ版で持っているが、その間にヘンレ版は表紙のデザインが変わっている。古い版がまだあるといいな。それとも、フランスにも日本でいう園田版のように評釈が充実したフランスだけにしかない版が存在するのだろうか。それならそれで面白いかも。
 月曜早朝に提出しなければいけない課題があります。例によって、いっぱい参考資料を読んで、その内容をこねくりまわして中身を捻り出して、数枚の紙にまとめるというもの。定期的にある課題で、いつも悩ませられているのですが、今回は先日試験の予行演習を受け、内容の出来はともかく6時間で何かしら形になったものを書くことができたので、ともかく6時間用意すれば書けるんだと思い、今日をその課題をやる日に充てることにしました。

 正午に始めようと思っていたところを、なんとなく30分前倒しにして11時30分には手を付け始めるという最高の滑り出し。非営利法人に対する寄付分について所得税控除が行われるが、フランス国外かつEU圏内で活動をしている法人に対する寄付についても、フランス国内法上の所得税の控除を行うべきという欧州委員会からの勧告を受け、いかなる税制改革を行うべきかという内容で、参考資料も結構テクニカル。そんなにさくさく読み進められず、1時間半読んだところで、13時になってお腹が空いてきました。第1の関門。

 腹が減っては戦は出来ぬということで、あっさり負け、昼食。食休みのつもりが1時間のシエスタ。でも、寝ぼけ頭を叩きながら、15時にはまた机に向かったのです。今日のボクはなぜか偉い。そして、また1時間半経過。6時間のスケジューリングでいくと、もう半分経過してしまったので、読むべきものは読み終わっていないといけないのだが、まだ全然。そして、またお腹が空いて来ました。しかも今度は、さくっと食べるものが家にないという状況。かつ、日曜日はお店が閉まるので、いずれにせよ今日のうちに買い物には行かなくてはいけないという状況。第2の関門。

 腹が減っては戦は出来ぬ、しかも明日も生きていけぬということで、あっさり負け、買い物へ。途中、夕立に見舞われて雨宿りをするなどして、18時半帰宅。そういえば明日はピアノのレッスンではないかと思い出し、ちょろっとピアノに触り、この時点で19時半。せっかく食料品を買い込んできたので、夕食ぐらいまともに食べようと思い、準備開始。食べ終わった時点で21時。当初の予定では、11時半に始めて17時半にはきれいに片付いている予定だった課題も、まだ書き始めてすらいない状況。とりあえず構成を練るという作業だけやり、PCのスイッチを入れてしまった。第3の関門。

 いや、この場合、スイッチを入れてしまった時点で負けているんですね、勝負に。というわけで、ひととおり毎日チェックするサイトをぱーっとチェックし(これだけでもそれなりに時間は取られる。)、ぼけぼけしている間に夜も更けて来ました。合間に一応書き始めはしたものの、夜が遅くなってくると、もう仕事する時間じゃないよなぁとか思い始める悪い癖で、作業は明日に延期することに。本当は、この課題以外にもちょこちょこやることがあり、それを全部日曜日に回す代わりにこの課題は今日片付けてしまうという予定だったのに、そして日曜日に回したタスクに今日手を付けたわけでもないのに、こんなことをしてしまった。自宅ではタスクをこなせないという自分の性質は知っているつもりでしたが、自己認識が甘かった…。明日、がんばりますー。
 となる「3日間続ける」というノルマはとりあえずクリアしました。三日坊主にすらならなかったとかいうのは、さすがにちょっと悲しいのでね。こんなことを書くと、それに安心してしまって明日から続くなくなってしまうなんてこともありそうだけど。この一文、明日からの自分に対するある種の牽制です。

 そうこうしているうちに、今週末は所属していたサークルの新人演奏会だそうで。あれに出たのがもう7年前とか結構おそろしい。とはいえ、大学4年間、社会人生活3年間でもそれなりにいろいろなことがあったので、あれだけ前の演奏会からもまだ7年ぐらいしか経っていないのかという気もしないでもない。とはいえ、大学のサークルの世代交替は早いわけで、新人時代から7年、卒業から3年が経つと、そりゃぁメンバーもだいぶ入れ替わっていて、メンバーの中心である1、2年生には知っている子はほとんどいない。ま、26歳にもなればそれがむしろ普通なのであって、1人なり2人なり知っている子がいるということ自体、有難いことなのかもしれないけれど。

 facebookが日本でも流行り出した結果、そういうギリギリつながっている後輩たちとか、数年間全然連絡を取っていなかった高校の先輩とか友人とか、そういう人たちからときどきリクエストを頂くようになった。その人たちと、少なくともミクシィではつながっていないと思うのだけど、日本の主力SNSもついにfacebookに取って代わられたと理解して良いのでしょうか。いかんせん「いいね!」という翻訳はいまいち出来が良くないと思うのだけど。というか、facebookの門戸が学生にしか開かれていなかった時代から使っているので、どうも日本語版のfacebookというもの自体に結構違和感があります。ま、流行り出した以上、そんなこと言ったって仕方ないけど。もともと学生のためのSNSだったなんて、最近誰も口にしなくなったしねぇ。なんだかんだやはりfacebookは手軽に使える点で出来が良いと思います。緻密なやりとりをするのには全然向いていないと思うけど、写真とかのシェアもしやすいし(どちらかというといまだにpicasaを主力ツールとして使っていますが。)、インターフェースもとても使いやすい。

 なんだか夜になって雨が降り始めました。週末は天気があまり良くない模様。相変わらずこなさなければいけない課題があるので、家にいなくちゃいけないという点ではちょうど良いのだけど、既に問題が2つある。そもそも家ではなかなか仕事ができないタイプであるということと、雨の日の気圧に対する耐性が低く、起きる・動く・仕事をする…あらゆる動作を開始するのに越える必要のあるハードルがぐっと高さを上げてくること。
2011.06.17 乗馬の苦しみ
 全員必修の体育の授業は種目選択制で、ボクは乗馬を選択しているのですが、今日はその2回目のレッスンでした。前回は乗るところから始めて、進み方と止め方、方向転換のしかたを習ってから徐々に歩いてみて、後半に少し走らせてみるという内容のレッスンだったので、それでもそれなりに疲れたとはいえきちんとこなせたのですが、今回はそうもいかず。というのも、もう走らせることはできるよねということで、1時間ずっと走りっぱなしだったので。馬にしてみれば、走っているのは自分であって、上に乗っかっている立場でごちゃごちゃ言うんじゃないという感じなのだとは思うけれど、馬が動くのと一緒に必然的に自分の身体も上下に揺れて全身運動を強いられるわけで、あれは結構な体力を消耗します。乗馬マシンがダイエットに効くというのにも激しく頷ける。

 さらに、走っている間、右手で手綱を持ち、左手では鞍の端を掴んで自分が落ちないようにするのだけど(速度が上がってくると、たしかに鞍を掴んでいないと落ちるかもしれないと思う。)、馬の身体と一緒に鞍もたくさん動くので、左手がそれに引き摺られ、左手にはマメができるのですね。マメができるなんて持ち方が良くないのかと思って、終わってからコーチに聞いてみると、手袋をしないとマメができる方が最初は普通だとのこと。慣れて来ると手の皮が分厚くなってきて平気になるよとのことだったのだけど、手の皮を積極的に厚くしたいとも思わないので、とりあえず次回は手袋持参かなぁ。冬用の手袋はもちろん持っているのだけど、スポーツ用品店で乗馬用の手袋を買った方がいいのかな。マメができると痛いので、手袋は必須なのだけど、借り物の帽子をかぶるのはちょっと気持ち悪いから乗馬用の帽子(というかヘルメット)も買った方が良いような気がするし、靴だって毎回使っていたらすぐに汚れちゃうだろうから乗馬用の靴があったらいいなと思うし、前回はGパンでやったのだけど今回はジャージを持って行ったら、スピードが上がるに連れてジャージの裾がどんどん上がってきて短パン状態になっちゃったから乗馬用のパンタロンが欲しいような気もするし、はたしてどこまで投資することになるでしょうか。こっちでやるのは週1回。あとは、日本でこれを続けるかどうか次第かな。機会さえあれば、とても良い運動になるし、ぜひ続けたいところだけど。
 しばらく続けて更新しては止まり、またなんとなく始まっては止まり、を繰り返している本ブログですが、今回は、同僚が始めたばかりのブログのURLを教えてくれたので、それに刺激された形で再開します。今度はどれぐらい続くことやら。

 今日は6時間に及ぶ試験の予行演習が学校でありました。予行演習を2回経た後に本試験を受けるということになっているので、併せて18時間にわたってじっと座り常に物を読むか書くかしているわけです。こう考えると結構信じ難い。試験の内容は、50ページぐらいの参考資料を渡され、その中から必要な情報を拾い集め、加工し、課題に対する回答を捻り出すというもの。外国語なので、当然資料を読むというのだけでも一苦労なわけです。そこはすっぱりけじめ(?)を付けて、最初に読む資料と読まない資料の区分けをするという作戦でいきました。読みながら適宜情報を拾い集め、本来ならそれを加工すべきところ、時間と語学力の都合上、ほとんど切り貼りというか焼き直し。資料から書き写した部分もかなり多かったので、それなりに書けた気にはなりましたが、そもそも資料を全部は読んでいないので適切な内容を選び取ることができたのか不明だし、仮に選び取れたとしても、ほとんど資料に焼き直しなので最も適切な形では表現できていないはずだし、要するに「書けた気になった」というのはまさに「気になった」だけであり、錯覚なのだろうなぁ、と。

 予行演習だったからかもしれませんが、10室ぐらい用意されている部屋のどこで受けても良い、出入り自由、試験監督なし、というなんでもありな感じの試験でした。みんなちゃんと守るべきルールは守っていたけど。