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 今日、たまたまラオス人と話す機会があったのですが、その人、なんと7か国語を操れるらしい。母語はラオス語、日本語はいま日本で勉強しているところ、当然英語も話せる、学位はベトナム留学中にフランス語で取ったのでフランス語もいける、あと経緯は特に聞かなかったものの、タイ語と中国語とスペイン語だったかミャンマー語だったかを話せると言っていた。。。おそるべし。

 もちろんそれは、彼の能力によるところも大きいのだとは思うけれど、環境がそうさせたということも大いにあるでしょう。たまたま今日、別の人の話を聞いていたら、よくある議論で「日本からは米国の大学に入る人が少ない、だから国際機関に就職する人も(拠出している資金の額の割合と較べて)少ない、けしからん」という話を聞いたのですが、それはどうなんでしょうね。ラオスみたいな国では、おそらくラオス語しか操れない状況で、ある人ができることというのは非常に限定されてしまうと思うのだけど、日本の場合、21世紀においてもある意味において社会は自己完結しているので、外国語なんてなくたって、外国の学位なんて持っていなくたって、外国における就業経験がなくなって、生きていく上で、しかもそれなりの生活水準を保ちながら生きていく上で何も支障はないはず。そして、「生きていく上で支障はないし、むしろそれなりの生活水準は保てているから、自分はこれで良い。」という判断を各自が自分でなし得るというのが、日本のような国の制度の根幹をなしているのである以上、「外国に行かないのはけしからん。」なんて言うことは誰にもできないはずだと思うのですが、どうしてそういう議論になっちゃうんでしょうね。

 誰も外国に行かないと日本の存在感が…という意見もわかるけど、自分の人生を大きく変えてまで日本の存在感を増幅させたいと思う人がいないのであれば、それもまた現実なんだから、それはむしろ、日本の存在感を増幅させたいとみんなに思ってもらえる国ではない(つまるところ、日本の存在感をあえて増幅させようとしなくてもそれなりに幸せに生きていけるとみんなが思っている)ことに原因があるのだというべきでしょう。そもそも「それなりに」幸せで満足して良いのかという議論は大いにあり得るところではあるけれど、結局は、それに満足するかしないかも決めるのは各人ですしね。

なーんて、ちょっと珍しいテンションで書いてみました。特に書くことが見当たらなかっただけだけど。笑
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