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 神楽坂のフレンチ。2年前には、東京で最も予約の取りにくいフレンチ・レストランとして名を馳せたとか。前菜にメイン2品、デザートのプリフィクスを頂いてまいりました。

 前菜に選んだのは、長野産アスパラガスのオランデ・ソース。どんなものが出てくるかと思ったら、開いた口がふさがらないぐらいびっくりしちゃう大きさのアスパラガス3本に、バターたっぷりのオランデ・ソースがかかってくるというシンプルな一品。あんなに太いアスパラガスを、どうやったら芽から根元まであんなに柔らかく茹でられるのか、という感じで、最初からいきなり感激。

 魚料理は、伊東産サワラのポワレ。さっぱりした味わいに仕上がっているのだけど、こんなに出して採算大丈夫?というぐらい、とても良心的なボリューム。付け合わせで生野菜もたくさん取れるようになっているので、更に爽やかさを増し、感心させられました。魚料理は、その日に築地から仕入れることができた具材によってメニューが変わるようで、それもまた乙、というか料理の出来については説得力抜群。美味しかった。

 肉料理には、仔羊のローストをチョイス。付け合せは、ジャガイモとブルーチーズのグラタン。この付け合せが、量も味付けもかなりしっかりした感じで後を引く。塩味でかりっと焼きあがった仔羊は、その大きさの割にあっさりしていてさくさく食べられちゃうのだが、それがゆえに余計に付け合せが恋しくなるという組み合わせは、かなり罪作り。ブルーチーズがふんだんに使われているのも嬉しい。

 食後のチーズには、エポワス。高価なチーズなので少しではあったけど、それでも東京の他のレストランに比べたら贅沢に、スプーンに大盛1杯出してくれました。あれで300円だというのだから、嬉しい限り。付け合せのくるみとレーズンのパンも美味。触るとくずれてしまうぐらい、つなぎの役割を果たすパンの種が少なくて、その分くるみが山のように入っていました。

 デザートは、ショコラのテリーヌ。これ以上ないほど濃厚。ああいうデザート、日本ではなかなかお目にかかれない。ともすれば、「しつこすぎる」という人がこの国にはいそうなので、お店としては危険な賭けだとは思うのだけど、ブルーチーズのグラタンといいこれといい、このメニューはこうあるべきというシェフの確固たる信念を感じる。今回、ワインは数少ないグラスワインを赤・白ともに楽しんだものの、次回はワインリストをじっくりにらめっこしてみようかな。きっとシェフの強い信念に基づいて選ばれたワインたちによって、素晴らしいリストが作り上げられているに違いない。
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 見てきました。今月で歌舞伎座が建替えのために閉じてしまうとあって、売出し初日から週末の分はほぼ完売。普段より1部多い三部構成になっていたのに、初日にチェックしたにもかかわらず、土日の昼の部と夜の部には1席とも空きがありませんでした。なんとか午後の部を押さえたものの、1階は完売で2階の上手側になんとか席を取りました。

 演目は、次のとおり。
  1.菅原伝授手習鑑 寺子屋 
  2.三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場
  3.藤娘

 さよなら公演もいよいよ最終月とあって、おまけでついた午後の部とはいえ、かなり豪華な面子でした。寺子屋は、初めて見る演目だったけど、松王丸に幸四郎、源蔵に仁左衛門というこれ以上ない組み合わせ。女形も玉三郎と勘三郎が支えます。三人吉三は、菊五郎、団十郎、吉右衛門で、これもまたすごい。大掛かりな舞台とあのくすっと笑っちゃう感じを両立できるのは、まさに彼らだからという感じですね。前に、玉三郎、松緑、染五郎という組み合わせで見たことがあって、それはそれで若さ溢れる感じで良かったのだけど、やはり今回のように重鎮の重みと演目の軽妙さとが重なり合うと、なんともいえない味わいがあります。藤娘は、藤十郎。きれい、の一言。日本の踊りはやっぱり良いなぁ、と再確認。将来女の子が産まれるようなことがあれば、ぜひ習わせたいです。笑
2010.04.09 AT限定解除
 AT限定の自動車免許を取ってからはや5年超。ついに、AT限定を解除します!

 というわけで、申し込んでしまいました。検定料込みで4万円超。場内で4時間の技能教習を受けて、検定を受ければ良いそうです。ちゃんと4時間の教習だけで受かるようにしないと。これで、世界のどこに行っても車を運転できるようになります。日本ですらろくに運転しない人が、海外なんかで運転するんですか、という疑問はとりあえず置いておきましょう。

 で、ボクが免許を取ったのは平成16年12月なのですが、その頃、普通車といえば当然のように8トン以下の自動車を指したわけです。ところが、平成19年に中型車という括りが新たにできたのか、それとも整理の仕方が変わったのか、普通車の免許で運転できる車の大きさの上限はもっと小さくなったそうで、平成16年当時に免許を取ったボクは、今でいうところの普通車に加え、8トンまでの中型車も運転できるということになっています。ところが、いま「普通自動車免許」を取ろうとする人は、普通8トンの免許なんて取らないので、8トンまでの免許を持っているボクのような人間が限定解除したいと教習所に行っても、教える資格を持っている先生がとても少ないそうな。そのせいで、教習を受けることができる時間もだいぶ限られてしまい(要は、その先生(2名)が来ている時にしか受けることができない。)、だいぶ不便な思いをしそうです。。。
2010.04.08 奥の細道
 縁あって、ほんのちょっとではあるけれど、改めて松尾芭蕉を目にする機会がありました。古典を読むというのは、やはりたまには良いものですね(もちろん「たまには」じゃなくても良いのだけど、古典ばかり読んでいると、他のものを読む時間がなくなってしまうし、概して古典は読むのに時間を食うので、ただでさえ少ない読書量も全体として減少してしまう。)。

 「古典」を読もうと思って、ときどき意識的に岩波文庫を手に取っては、『破戒』『暗夜航路』『虞美人草』などを手に取って来たものの、つまるところそれらは「日本近代文学」と括られるべきものですね。もちろん、日本近代文学をもっと読もうという意識を持った上でのことだったので、そのこと自体には何ら問題はないのだけど、もっともっと遡って古典を読むというのも良いなぁ、と高校時代以来初めて奥の細道に触れて、ちょっと思いました。

 というか、昔から原文で源氏物語を読もう読もうと思っているのだけど、なかなか手付かずで。この際、全部読もうなどと無謀なことは考えずに、主要な巻だけ気まぐれに目を通すというスタンスでも良いのではなかろうか。全部読もうと思うがためにハードルばかりが高くなり、そのために結局一字も読まないというのは、尻尾が胴体を振り回しているような気がしますしね。古事記、日本書紀、枕草子、徒然草、方丈記…読むべきものは他にももっとたくさんあるけど、まぁ興味があるという点で入りやすいだろうから、源氏物語が良いですかね。

 ある国の古典を読むことこそ、その国に対する尊敬の念の源泉である、と聞いたことがあるけれど、それは本当にそのとおりかもしれませんね。
 今日、たまたまラオス人と話す機会があったのですが、その人、なんと7か国語を操れるらしい。母語はラオス語、日本語はいま日本で勉強しているところ、当然英語も話せる、学位はベトナム留学中にフランス語で取ったのでフランス語もいける、あと経緯は特に聞かなかったものの、タイ語と中国語とスペイン語だったかミャンマー語だったかを話せると言っていた。。。おそるべし。

 もちろんそれは、彼の能力によるところも大きいのだとは思うけれど、環境がそうさせたということも大いにあるでしょう。たまたま今日、別の人の話を聞いていたら、よくある議論で「日本からは米国の大学に入る人が少ない、だから国際機関に就職する人も(拠出している資金の額の割合と較べて)少ない、けしからん」という話を聞いたのですが、それはどうなんでしょうね。ラオスみたいな国では、おそらくラオス語しか操れない状況で、ある人ができることというのは非常に限定されてしまうと思うのだけど、日本の場合、21世紀においてもある意味において社会は自己完結しているので、外国語なんてなくたって、外国の学位なんて持っていなくたって、外国における就業経験がなくなって、生きていく上で、しかもそれなりの生活水準を保ちながら生きていく上で何も支障はないはず。そして、「生きていく上で支障はないし、むしろそれなりの生活水準は保てているから、自分はこれで良い。」という判断を各自が自分でなし得るというのが、日本のような国の制度の根幹をなしているのである以上、「外国に行かないのはけしからん。」なんて言うことは誰にもできないはずだと思うのですが、どうしてそういう議論になっちゃうんでしょうね。

 誰も外国に行かないと日本の存在感が…という意見もわかるけど、自分の人生を大きく変えてまで日本の存在感を増幅させたいと思う人がいないのであれば、それもまた現実なんだから、それはむしろ、日本の存在感を増幅させたいとみんなに思ってもらえる国ではない(つまるところ、日本の存在感をあえて増幅させようとしなくてもそれなりに幸せに生きていけるとみんなが思っている)ことに原因があるのだというべきでしょう。そもそも「それなりに」幸せで満足して良いのかという議論は大いにあり得るところではあるけれど、結局は、それに満足するかしないかも決めるのは各人ですしね。

なーんて、ちょっと珍しいテンションで書いてみました。特に書くことが見当たらなかっただけだけど。笑
 最近、スタバで2回連続でやってみたオーダー。甘い!という批判も受けそうではありますが、美味しいです。カフェ・モカのホイップクリームをなしにしてもらい、代わりにヘーゼルナッツ・シロップを追加するというオーダーです。1回目はミルクをノンファットにしてみて、2回目は普通にしてみたのですが、どちらもいけました。よりすっきりした味わいなのは、もちろんノンファット。更に輪郭の際立った味を作るなら、エクストラ・ショットを追加するのもありかなぁと思ったのですが、せっかくモカとヘーゼルナッツの甘みを追求したオーダーなのに、ちょっと甘さが薄れてしまうかなぁと思って、まだやってみていません。

 特に、馴染んできた後半が美味しいのです。やっぱり、ヘーゼルナッツ・シロップは、チョコレートとの相性が抜群ということなんでしょうかね。ラテに入れてみたこともあるのですが、ちょっと浮いちゃって、圧倒的にモカとの方が合っているという印象でした。もちろん、そこらへんは好みだと思うんだけど。

 というわけで、スタバでカスタマイズなんてねぇ、と思っている方、だまされたと思ってやってみてくださいな。トール・ノンホイップ・ヘーゼルナッツ・モカ~♪
2010.04.05 バンコク
 「バンコク」という六本木にあるタイ料理屋に連れて行ってもらってきました。リンクを御覧になればおわかりのとおり、食べログで3.7点を超えるという隠れた名店です。いかにも「雑居ビル」という感じの、ちょっと古い薄汚い建物の2階にあるので、事前に情報を知らなければ、通りがかりに入ってみようとは決して思うことなどないであろう店構えなのですが、食べログの評価はある程度信用して良いということか、美味しかったです。

 人気だというナスのサラダやら、空芯菜の炒め物というちょっと中華っぽいメニューやら、牛肉のオイスターソース炒めという一見なんの変哲もないメニューやら、トムヤムクン風のスープといういかにもなメニューやら、何から何まで美味しくいただけました。日本人の目や舌を妙に意識し過ぎていないところが良いんですかね。タイには行ったことはないのだけど、あぁーこういうの夜の屋台とかでありそう!みたいな見た目に、蒸し暑い夏の夜にバンコクにはこの匂いが充満していそうと思わせる香辛料の香り。アジア料理はやはり面白いですね。

 本来どちらか選べといわれれば、ベトナム料理やインドネシア料理(というかバリ料理?)などを嗜好してしまいがちではあるものの、やはりこれも王道・タイ料理、というのを見せ付けられた感じがします。シンハビールも美味しかったし、途中から切り替えた赤ワインにもよく合っていたし。東京はなんでも美味しく食べられるといいますが、本当ですね。ありがたやありがたや。
2010.04.04 夏の予定
 8月の間は、南仏のとある街にすごく定評のある語学学校があるので、1か月、そこに身を置くことに決めました。「南仏」に惹かれたのではなく、あくまでも語学学校として確立された独自のメソッドに魅力を感じてのことであるということを念のため断っておきますが(そこに通った先輩方がみな口を揃えて勧める、他の語学学校に比べて格段に授業料が高い、朝食さえクラスメイトで講師を囲んで行われる、20歳以下のお子ちゃまは入学お断り、など背景事情を説明すれば、多少は説得力が増すでしょうか。)、その地が風光明媚な地であることもまた事実であり、そこにも胸躍るわけです。

 そんなある日、書店をふらついていると、新発売の雑誌コーナーで目に入ったのがこれ。

フィガロ ヴォヤージュ 【永久保存版!】プロヴァンスとコートダジュールへ。 (HC-ムック)





 値段も確かめずに、即買いしてしまいました。決して厚い雑誌ではないものの、御値段980円也。それなりに需要があるということなんでしょうかね。で、中を開けると、大興奮です。この地域の小さい村々が豊富な写真とともに詳細に紹介されており、「ここに泊まりたい」「ここで食べたい」と思わせられるスポットの連続。いやー、日本の民宿もさることながら、シャンブル・ドット、いいですね。ターブル・ドットが付いている宿であれば、なお良いですね。語学学校に通っている間、少なくとも3度は週末があるはずなので、どこに行こう、何をしよう、とちょっと胸をときめかせたのでした。9月以降の居場所が確定していないので、そんなことにうつつを抜かしていないで、しっかり勉強しなければいけないのだけど。でも、これを見てしまった日にゃ、ちょっと思考が停止しても仕方ない。笑
 一言で言うと、こんな1日でした。昼過ぎ、知人が出演するというので「第11回ショパン国際ピアノコンクール in Asia 受賞者記念演奏会」へ。コンチェルト部門のガラ・コンサートで、オケは、ポーランド・ジレジア・フィル、指揮はミロスウァフ・ブウァシュチック。オケの人数が全体として少し少なめなのはまぁ良いとして、チェロが3人しかいなくてそのあたりの音域が響かない、トランペットとフルートが下手、というちょっと物足りない感じでした。知人は、忙しくて最近あまり練習する時間がなかったのか、何度も弾いているはずのショパコン1番でしたが、うーんという感じ。代わりに、同じ曲の2・3楽章を弾いた中学生の男の子が、若干荒削りの部分はあるものの将来が楽しみな感じの演奏を披露してくれました。曲を自分なりに噛み砕いた上で弾けている、というか。

 知人の演奏を聴いたら、挨拶もそこそこに移動。月末にフルートの伴奏をすることになっているので、その初合わせ。ドップラーといえば、ハンガリー田園幻想曲がすぐに思い浮かぶところですが、今回やるのは2台のフルートのためのアンダンテとロンド。ジプシー風の田舎くさい感じは健在ですが、全体の曲調はハンガリー田園幻想曲とは違って、もっと動きがあるというか、若々しい感じ。先月の演奏会が終わってからちょろっと譜読みした程度だったのでどうなることかと思った初合わせでしたが、およそ7年ぶりの合わせものということもあり、それなりに楽しかったです。フルート2台のうち、1台は友人であるものの、もう1台はその先生だったので、友達とデュオをやる時ほどあれこれ好き勝手は言えなかったけど。笑

 それをこなして、さくっと菓子折りを買い、職場の先輩宅のホームパーティーへ。30代の独身貴族の一人住まいのマンションに20~30代のが15人ぐらい集結。初対面の組み合わせも結構多かったものの、幸いにもボクは知っている人ばかりだったので、心地良く過ごせました。1年目に配属された部署関係の人も多く(そもそもホストがその部署でお世話になった先輩)、久しぶりに一緒に飲んで、ちょっとした懐かしさに浸りつつ楽しく過ごしました。やっぱり一定以上の水準のホスピタリティというものは、兼ね備えておくに越したことはないですね。パーティーを開こうという心意気にしても、ゲストのために腕によりをかけて料理をしようという気概にしても。

 そんな春の土曜日。
2010.04.02 新入生歓迎会
 というのがありました。昨日入社式を終えた新人さんたちは、今日から1か月ひたすら研修を受ける生活。たまたま同じタイミングで研修を受けている期が、これから1か月一緒に研修頑張りましょうという意味も込め、飲み会をするという趣旨で歓迎会をやりました。「歓迎会」といってもごたいそうなものではなくて、できるだけたくさんの新人さんに来てもらうために、研修施設の中で、缶のアルコールと、しょぼいケータリングと、スーパーで買い溜めしたお菓子でもてなすというものでした。

 こういう時のお決まりで、裏方で飲食物の調達を引き受けたのですが、スーパーでお菓子だけを1万円を超えるぐらいボンボンかごに入れていくのは、やはり気持ちが良いものがありますね、やめられません。笑 同期2人に付き合ってもらって3人で買い物に行き、「どらやき33円」を発見し、飲み会にどらやきがあるというのも良いだろうと半分真面目に思い、大量にかごに投入したにもかかわらず、レジで「お一人様5点までの特売品なので。。。」と言われ、15個を超える分について没収されてしまったというのは御愛嬌。結局、15個しかないどらやきは食べ損ねたなぁ。
 しばらく書いていなかったものの、キリの良い日になったことを理由に更新を再開しようと思います。平成22年度が今日から始まるということで、これ以上キリが良い日というのもないでしょう。いよいよ社会人生活も3年目を迎えるわけですが、最近はといえば、ひたすら研修を受け続けています。すなわち、残業なし。他の同期たちに比べると環境に恵まれたのか、2年間それほど死ぬ思いをして働いたわけではないのですが、それでもやはり残業をまったくしないというのはすごいなぁと。だって、普通に夕方には身体が自由になりますからね。まぁ、宿題は毎日あるし、通勤時間は長くなったりしているので、時間的制約自体はさほど変わらないような気はするものの(しかも、残業をしないために減収。)、概して快適です。研修を受けている間は、同期みんなで楽しく飲んだくれるよ、とかいう話も先輩方からは聞いていたのですが、特段そういうわけでもなく、自分で好きなように過ごしております。

 新年度の初日ということで、今日は新入社員諸君が入って来ました。彼らも、最初の1か月はひたすら研修という生活を送るので、1か月は一緒に過ごすことになるのですが(もちろん受ける授業は違うけれども)、自分にとっては昨日とも明日とも大して変わらない1日に過ぎない今日という日に入社を迎えた彼らを見て、ちょっぴり2年前のことを思い出したりしました。正確には、既に自分が身を置いているコミュニティ(会社)に新しい人たちが右も左もわからないまま入ってくるというシチュエーションから、大学時代に後輩たちを迎え入れた時のこととかも思い出しました。それぞれの学年に、そして、それぞれの人により反応はさまざまで、今がちょうど別れと出会いの季節であることにも関係はするとは思いますが、いろんなことが鮮明に思い出されます。あの子は最初からよく喋ってくれてなついてくれたなぁとか、あの子は今でこそあれこれ話してくれるけど最初は本当にネコをかぶっていたなぁとか。別れの季節が嫌いであるということは前々から繰り返し言っていることですが、それを通じて記憶をメンテナンスできるというのは良いことなのかもしれません。
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