上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
に行ってきました。結構すごい人。

いろんな車を見られたこともさることながら、そこに集う人々にはいろいろなパターンがあって面白かったです。車体、モーター、環境への配慮、シートなどのディテール、など数あるうち、中でも予想以上に多かったのが、キャンギャル目当てで集う人々。キャンギャルが各メーカーのステージに登場したときに、そこに集う人、そしてそこでフラッシュをたく人の多いこと多いこと。彼らのデジカメのモニタを後ろから見ると、案の定、車ではなくキャンギャルをアップにしているものばかりでした。さらには、ステージ上にとどまらず、各メーカーのブースの受付に座っているレセプショニストに公然とカメラを向ける人も多数。これには結構びっくり。みんな、お気に入りのかわいこちゃんを見つけては、さっとカメラを向けるわけです。撮られる側のレセプショニストも慣れたもので、カメラを向けられた途端に、平積みされたパンフレットを一部取ってカメラの方に見せ、自分の首を少しかしげる、というポーズを一瞬にして取るのです。いやー、すごい世界ですな。

肝心の展示は、どこのメーカーも本当に環境への配慮ばかり売り出して、びっくり。環境に配慮していますというアピール、そんなに金になるのだろうか。日産なんて、すべての展示がそうだったし(展示してある車もほとんどがエコカーで、真っ白の車体に「エコ」みたいなことが書かれているものばかり。いろいろな色の車を展示している他社に比べ、目を惹きにくい構図になっていました。)。トヨタはキャンギャルに楽器の生演奏をさせていて好印象。正直、他の展示はまったく冴えなかったんだけど、入場してすぐ正面という位置取りといい、他社にはない楽器といい、なんだかんだ功を奏していたように思います。ホンダは、ステージに立たせる人の数が多く、更に、1回1回のステージがボリューミーで、非常に見所がありました。頑張っていた。

他の展示会の類と違うのは、ステージは1日に何十回もやるのだろうに、その都度、ナレーションはステージ上のキャンギャルに喋らせるということ。普通だったら全部録音を流して済ませるところだろうに、ここからもやはりキャンギャルの一定の需要がうかがえますね。

車をいろいろ見て、良かったのは、出品していた数少ない外資であるBMWを別とすれば、日産のフーガですかね。来年の秋に登場するという形のものが、とてもカッコ良かったです。パールみたいな色もすごくキレイだったし。
スポンサーサイト
ショートケーキを食べるとき、イチゴはどのタイミングで食べますか? 三角形のとがっている方から食べて行って、ちょうどイチゴが乗っている部分までたどり着いたとき、というのがボクの答えなのですが、世の中、イチゴを最初に食べてしまう人や、イチゴを最後まで取っておく人もいるそうで。そこでこんなことを考えました。

###

イチゴを最初に食べてしまう及びイチゴを最後まで取っておくという立場(以下「イチゴ分離論」という。)を取る人にとって、きっとイチゴはショートケーキにおいて極めて特殊な地位が与えられているものと考えられる。たしかに、1ピースのショートケーキのうち、まるまる1個の形を残したまま存在するイチゴは、上に乗っている1個だけであるという点で、イチゴは特別であるという主張は一見妥当であるように見える。しかし、ショートケーキの内部にスライスしたイチゴによる層が設けられていることからも明らかなように、ショートケーキというお菓子は、本来、イチゴを楽しむためのものではなく、イチゴ、スポンジ及び生クリームのハーモニーを楽しむために生まれたお菓子のはずである。にもかかわらず、イチゴ分離論の立場を取るということ自体、ショートケーキに本来期待されたそのハーモニーを、自ら破棄するようなものである。そのことは、ケーキの上からイチゴを取り除いたときに、生クリームで覆われた表面に、1か所だけイチゴ大のクレーターが生じてしまい、見るも無残な見栄えになるということからも裏付けることができる(ただし、イチゴ分離論のうち、三角形のとがっている方から食べて行って、ちょうどイチゴが乗っている部分までたどり着いたときにイチゴを取り除き、最後までイチゴを残していくという方法を採った場合を除く。)。

それに、イチゴ分離論を前提とした場合、イチゴがケーキの上に乗っている必然性を十分に説明することができない。というのも、イチゴをケーキから分離した上で食べることを前提とする以上、ケーキの横にイチゴを置いておけば良いからである。この主張に対しては、ショートケーキは本来円形のホールケーキの形を成しているのであり、その場合、ケーキの上を除くほか、イチゴを置くのに適切なスペースがない、という反論があり得る。この反論に対しては、そもそもイチゴ分離論が、ショートケーキにおけるイチゴを特別視していることに問題があるという指摘が有効である。というのも、先述のとおり、ショートケーキにはスライスしたイチゴによって構成される層があるわけで、仮にイチゴの量が不十分なのであれば、その層を拡充することで食べ手の要求に応えることが可能だからである。

これに対し、イチゴ分離論の立場からは、イチゴはショートケーキのシンボルとして、表面にアクセントを加える役割を担っているのであり、イチゴをショートケーキの表面から取り除くことは受け容れがたい、という反論が行われることが考えられる。これも、イチゴをショートケーキのシンボルとして捉えるから生じる誤解である。先述のように、イチゴ、スポンジ及び生クリームのハーモニーを楽しむためのお菓子としてショートケーキを捉えれば、そもそもスポンジは表面上にその姿を見せていない。また、表面にアクセントを加える役割の必要性についても、シフォンケーキ、レアチーズケーキなど、表面がある素材によって一様な姿とされているケーキはたくさん存在する以上、ケーキはその表面に何らかのアクセントを加えられなければならないという主張は成り立たない。

このように、ショートケーキにおいてイチゴをショートケーキの他の部分とは分離された特別な存在だと捉える見方は妥当でなく、イチゴについては、スポンジ及び生クリームと一体となってショートケーキというお菓子を構成する部分であると考えるべきである。このことから、ショートケーキを食べる際に、イチゴをケーキの他の部分から分離するという行為は、イチゴ、スポンジ及び生クリームが一体となることにより存在意義を有しているショートケーキに、不自然な人為的な力を与えることとなり、適切でない。
見て来ました。雑誌で読んで、興味を持って行ったんだけど、150席の映画館が満席。しかも日中はスクリーンを2つ使って上映しているらしいのに、すべての回で満席。すごい人気。まぁ、バレエに少しでも縁のある人の数を考えれば、興味を持つ人が相当数いて、その人たちが1つの映画館に集まるんだから、そうなりそうなものですがね。3時間に及ぶ、ナレーションのないドキュメンタリーだということで、どんなものかと思ったけど、それなりにまとまっていた、というと語弊があるけど、見る人を飽きさせないような構成にすることにはある程度成功していたように思います。

いわゆるエトワールと呼ばれるトップダンサーたちだけにスポットを当てるわけではなく、新人ダンサーやいろんな裏方さん、さらには経営陣にまでカメラを向ける監督の姿勢には頭が下がります。そのおかげで、パリのオペラ座のより真実に近い姿が映し出されているような気に、少なくとも見ているボクらはさせられるし。ただし、裏方さんについては、姿かたちは何度も現れていたけれども、本当にただ姿かたちが現れているだけで、もちろん映像から何らかのイニシエーションを見る者に与えたくないという監督の問題意識には感心するものの、もう少し何らかの文脈の上に彼らを置いてあげたら、もっと良くなったのではないか、と思わないこともありません。あとは、これがパリの優れている点だと十分理解した上で言うのですが、登場する作品の比率として、コンテンポラリーの作品の比率があまりに高いこと。いろんな演出があり、自分なりに現代的問題に投射してそれぞれの演出を見ようとしたものの、やはりそういう素人の理解を超える作品というのは当然にあるわけで、ちょっとかゆいところに手が届かない感じがしました。映像から何らかのイニシエーションを見る者に与えたくないという先述の問題意識の賜物なのだろうという理解はしながらも、やはりどこかで作品の本来の意味を知りたがっている自分がいるというか。正直、そこに思いを馳せられないと、場合によってはある種の奇行にしか映らないというか。

とはいえ、ドキュメンタリーを普通の映画館でやること自体、最近増えてきたとはいえ、まだまだ珍しいことはたしかだし、なんといってもオペラ座の裏側という非日常の世界を、まるで自分がそこに何日もいるかのようなカメラワークで見せてくれた点は非常に有益な作品でした。3時間も、思ったほど長くなかったし(終わり方はちょっと物足りなかったけど。)。今月いっぱいは少なくともやっているらしいので、御関心の方はどうぞ。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。