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@森美術館


見てきました。
知る人ぞ知る現代フランスのアーティスト。

悲愴感漂う作品群は、とてもメッセージ性の強いものばかりで、
作品を目の前にして、自分なりの解釈(もはや通訳といったほうが適切?)は必要だけど、
いろいろなことを考えさせられるような、きわめてインプレッシヴな展覧会でした。

思えば、自分は現代美術にはまったく明るくなくて、
そのせいか、無意識のうちに現代美術を敬遠していた節があったし、
見に行く展覧会も、せいぜいキュビズム、シュルレアリズム、ぐらいが限度だったんだけど、
いざ見てみると、作品から思いを馳せることは山ほどあるし、同じ人間が携わった作品として、
その背後にあるものを想像するイマジネーションも兼ね備えているな、ということに気が付いた。

見に来ている人の中には、
(スカイ・アクアリウムⅡが同時開催ということもあり子連れが多かったのも事実だが)
「えーなにこれ、意味わかんなーい」と声にしてはばからない人も少なくなかったけど、
「いや、全然わかんなくないだろ」という感じ。

彼女の作品が、現代美術と言われる広いジャンルの中で、
比較的接しやすいものなのか接しにくいものなのか、見識のない僕にはわからないけど、
少なくとも、今までなんとなーくよくわかんないな、と思っていた現代アートを、
ごくごく身近に感じさせてくれた展覧会だった。

特にミラノ・トリエンナーレでフランスに金獅子賞をもたらした作品の一部もあったんだけど、
目の前に座って、いくらでも時間がすぎるのを待てる感じ。
実際、15分くらい黙って見ていた気もする。


蛇足だが、疑問に思ったのは作品の保存について。
伝統的な美術作品である絵画のように額縁ひとつとはいかない作品たちは、
そのパーツ群をコーディネートする作者が亡くなった後、
どういう場でどういう風に再現されるんだろうか。。。
そして、それを作る人たちは、自分が死んだ後にもその作品が保存されることは、
製作の段階で念頭に置かないんだろうか(置くに決まっているという感覚こそが不純?)。
いろんな作品を見ながらそんなことを考えた。
せっかく優れた作品があっても、作者がいなくなったら、
エクスポーズの方法が変わってしまうなんてこと、あってはいけないと思うんだけどな。
よっぽどしっかりした展示マニュアルを作者が作っているとも思えないし。
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